「私は食道楽なんですよ」と開口一番、“食”に関わるビジネスを始めた動機を語る(株)新日本通商代表取締役社長の倉持純一郎氏。26歳で脱サラして、東京・虎ノ門に魚介類を使った外食店として洋食と和食の2店舗を構えた。バブルの余韻がまだ漂う中で、お店は大いに繁盛したようである。
そうした中、ふとした縁からデパートへの出店を勧められる。まだ“デパ地下”という言葉のなかった時代、倉持氏は百貨店やデパートの地下の惣菜売場への関心を強めていった。「デパート地下の神戸コロッケ(現在の(株)ロック・フィールド)のコーナーに並んだ長い行列を見た驚きは今も忘れられません」と、倉持氏は当時の驚きを語る。
バブル破たん後の景気低迷とともに、徐々に食の家庭回帰が始まり、外食から中食へと需要のシフトが始まった。そうした流れに自然に乗るように倉持氏は、現在の(株)新日本通商を立ち上げ、中食の事業を本格的にスタートした。
「欧米と同様に、女性の社会進出にともなって、中食の需要は今後ますます増えてくると考えています。これまで日本国内には、独自の弁当や惣菜の文化があり、そのことが逆に、中食に関連する技術開発を遅らせてきたといえます。
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| 「機能のないパッケージは不要だと考えます」と語る倉持社長 |
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