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(株)小川ミート 代表取締役 小川 勇氏
「お客さまの満足、社員の幸せ」
これがわが社の商訓であり私の座右の銘です
(株)小川ミート/昭和58年6月設立。岐阜県の大垣市や瑞穂市など岐阜南西部に22店舗展開する「フードセンター富田屋」へのテナント出店。本社は岐阜県瑞穂市田ノ上165番地。

 「来年は創業30周年、私がこの世界に入って50年の節目の年になります」と、15歳で食肉会社に就職し、この道ひと筋に走り続けてきた小川勇社長の目が緩む。その顔は「よくここまで続いたな」という感慨と、創業当時から実行し続けてきた「おいしい肉を、他が真似のできない価格で提供する」という自負、自信の表情で溢れている。
 小川ミートの発展は地元スーパー富田屋(店名トミダヤ)抜きでは語れない。創業から今日まで小川ミートは富田屋とともに成長してきたからだ。
 「先代の富田繁雄社長(現会長)には随分お世話になりました。食肉会社の営業マンとして富田屋に出入りしていた時も、また独立願望を聞いてもらった時も、助言や温かい支援をいただいたものです」と当時を振り返る。
 小川ミートの創業は富田屋の新店計画がキッカケだった。新店計画を耳にした小川社長が、独立の熱き想いを富田社長に語ったのが出発点となったのである。
 時に昭和52年、小川社長35歳の春であった。親戚一族を呼び寄せて、新店予定地で独立の喜びと成功への誓いを披瀝したのも今では懐かしい思い出だ。
 「最初の半年間は無我夢中で働きました。“お客さまによい肉を安く提供し、満足していただきたい”という、ただその一念で、それこそ寝る間も惜しんで働きました」(小川社長)と語る。その甲斐あって親戚一同から借り集めた借金を1年で返済し終えている。
 小川ミートはこれまで3回ほど転機を迎えている。最初が富田繁雄社長(当時)から「全8店舗の精肉部門を任せる」といわれた時で、創業から6年目の昭和58年のことだ。それまで3店舗だった店舗が一挙に5店舗増えたのである。
 「8店舗を運営するには個人経営ではムリと、会社組織に変更したのです」と小川社長。長い間の願いだった株式会社の誕生である。
私の自慢は社員。すぐれた力量を持った社員が育っています。
 2度目が平成元年。昭和63年6月の“牛肉とオレンジの輸入自由化”という政府の決定を受け、平成元年、牛肉の商品構成をガラリと変え、全店で飛騨牛の販売に踏み切ったのである。それまで主力だった輸入肉の割合を30%から5%に減らし、代わって飛騨牛の割合を5%から55%に増やしたのだ。それは世の中の流れに逆行する決断だった。が、後にこの決断が正しかったことが証明されたのである。
 「輸入肉を増やした多くのスーパーがBSEで牛肉売場を縮小せざるを得なかった時、ウチはほとんど影響を受けなかった」と小川社長。この思い切った切り替えで、消費者の小川ミートに対する信頼・信用が一挙に高まった。そしてこれを機に精肉(牛に限らず、豚肉、鶏肉)のブランド戦略を強めていくことになる。
 3番目が社員への権限委譲。10年前、ライオンズクラブの会員に誘われたのを機に、それまで一人で抱えていた仕事の多くを社員に任せたのである。
 「仕事を任せて人は育つことを知りました。仕事ができないのではなく、任されないからやらなかっただけなんですね」と小川社長。それまで自ら市場に出かけて行っていた枝肉の仕入れを、今では小川社長以上にシビアにこなすまでに社員が育っている。
 ここ数年、社員教育にも力を入れている。外部の管理者養成学校の研修に社員を送り込み、「今では27名の卒業生を数えるまでになった」と顔をほころばす。

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